
かつての岐阜城石垣を利用して、明治43年5月に竣工した模擬城。昭和18年に焼失し、現在の岐阜城は同31年に再建されたもの。

模擬城。少し離れてたつ鉄塔は高さ10メートル余りの「岐阜古城跡」の碑。城と同じ時期に建てられたが、昭和18年に供出された。

山上の二之丸門跡。大正2年のスタンプが押されている。

昭和初期の姿。右手奥の木の間にみえるのは、「殉職警察官・消防員忠魂碑」で、大正15年に建てられた。

千畳敷の子どもたち。茶店には「氷」の旗がでている。消印は大正7年。

昭和10年代中ごろの長良橋上流左岸遊歩道。この場所は、今も桜の名所として親しまれている。

模擬城付近のようすで、昭和7年に購入された絵はがきセットの一枚。

公園内の千畳敷で憩う人たち。大正期。

名和昆虫研究所は明治29年創立、同37年に岐阜公園に拡張移転した。左側の建物は明治40年完成の特別昆虫標本室(現在の記念昆虫館)。

藤棚の下にはアイスクリーム屋が車を置き、子どもたちが板垣像近くにあつまっている。昭和初期。玉井屋旅館が発行した絵はがきセットのうちの1枚

昭和11年に、岐阜公園一帯を会場として躍進日本大博覧会が催された。会場入口あったこの女神像は、板垣像と同じく戦時中に供出され、現在のものは二代目。

板垣退助が岐阜中教院での演説後に襲撃されたのは、明治15年のことである。大正7年に建てられたこの銅像は、戦時中に金属供出で姿を消した。

大正期と思われる。公園入口付近を写したもので、中央奥に三重塔がみえる。

昭和初期のもの。
家族連れの観光客、乳母車や自転車の市民でにぎわっている。