
手前の船は苫(とま)をかけて係留された大型の荷船。長良川では荷船が美並村付近まで上ることができた。大正の末頃。

川を狩り下る前、上流の河原で鵜匠が鵜に手縄(たなわ)をつけている場面。

鵜匠がアユをとった鵜を引き上げている場面。「鵜飼観覧記念」のスタンプが押されている。

明治42年刊『岐阜県写真帳』収載写真と、同時に撮影されたと思われるカット。

帆を張り遡上する川船。帆走のほか、曳航(えいこう。引き網で船をひっぱる)や、ろ・かいなどで川を上った。

風折烏帽子(かさおりえぼし)・漁服・胸当・腰蓑・足半(あしなか)をつけ身仕度を整えた鵜匠と、手縄をつけた鵜。

大正14年開催の銀婚式奉祝国産共進会記念絵ハガキの1枚。長良橋から上流を望む。

長良橋上流左岸に大正末に鵜飼観覧を目的に設置された納涼台(鵜飼観覧所)の一部。

日中、川原に放たれた鵜。後ろに鵜籠が並んでおり、右手前の籠が4羽入れるヨツザシ。

着色版。長良橋下流左岸を望むもので、写真撮影用デモンストレーションと思われる。

鏡岩付近。写真撮影用のデモンストレーションであろう。

長良橋上流右岸からみた下流。「各務ヶ原宙返り飛行絵葉書」の一枚。

鵜飼型と呼ぶ川船は、この絵はがきのように、上りではトモを先にし、下りでは舳先(へさき)を先にした。これは上り。

鵜飼遊船。遊船は明治以降に始まり、鵜飼の観光化とともに数を増していった。

大正期の遊船乗場。看板を掲げた建物は岐阜遊船株式会社事務所(現在の市鵜飼観覧事務所)。

皇室御用専用の漁場であった古津を、右岸より望んだもの。

昭和初めに左岸沿いの道路が整備され、観光客でにぎわった。これは納涼台付近。