「奥の細道」に「山中の温泉に行くほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ。」と記されているように、車窓遠くに白山の残雪が、美しく光っているのを見ながら、やがてバスは芭蕉の館に到着。玄関先で、案内人の新谷さん、それに奥の細道の旅で同行して来た門弟の曽良が、ここ山中に来て、いよいよ腹痛に堪えず、師匠芭蕉の前に膝まずき、先に長島に旅立つことへの許しを請うている大きな石像が私たちを迎えてくれた。
資料館は、芭蕉が、九日間を逗留した「泉屋」の別荘を後に買い受け、そこを近年再整備し、資料館にしたとのこと。二階屋の館内は柱という柱・廊下などは、さすが山中漆の総漆塗りである。一階の庭園を望む濡れ縁の杉板は、幾年にもわたって磨きがかけられ、木目が粗く浮き出ていたのは誰の目にも見事というべきものであった。松尾芭蕉ゆかりの草筆紙画や名句の遺墨それに芭蕉逗留の宿、泉屋に芭蕉から賜ったという小さな厨子に安置された持仏など、あますところなく鑑賞した。それに曽良の滞在中の日記の概略などを足早に見終えて、二階の急な階段を下りた時には、階下の広縁では、館長さんによる解説が始まっていた。
芭蕉が加賀路に来て、下の句にいずれも「秋の風」と詠んだ句は、五句を数える。館長さんのユニークな解釈によると、この「秋の風」と詠んだ句意には、NHKの紅白歌合戦で秋川雅史氏によって歌われ、全国の多くの人が涙した、「千の風になって」の歌意に通ずるものがあると話された。
死者たる魂が、死の再生を全く新しい発想から作っている「千の風になって」の原作詩。この詩と芭蕉の「秋の風」、この両方の持つ歌のメッセージには、共通するところがあるとのこと。紙面の関係で、加賀路で句作された「秋の風」五句ある中の一句だけを記載しておく。
「塚も動け 我(わが)泣声(なくこゑ)は 秋の風」
この興味ある館長さんの解説の後、旅行者全員で「千の風になって」を合唱し、館内は和みの心に包まれた。最後に館内を案内された新谷さんが、とても澄んだ響きのある声で「山中節」を披露してくださったのも素晴らしい旅のプレゼントになった。
昼食は、伝統料理、かかさま御膳で、山中漆の食器で料理の由来を一品一品伺った。芽吹きの蕗のとう等を使った口取りから始まった山菜の数々・時間をかけて炊きあげた鰊など、自然食材を丹誠込めて作り上げた料理には、十二分に堪能できた。
北前船の里資料館では、藩政期から明治中期まで、瀬戸内・日本海・北海道に活躍した商船、「北前船」に関するさまざまな資料を豪壮な船主邸で見学をした。時代と共に移り変わる船商人の生活ぶりを垣間見ることができた。
最後に今回こうした旅の機会を与えていただいたことに深く感謝申し上げます。
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